そう、あれは―――百万光年のちょっと先、今よりほんの三秒むかし。「百万光年のちょっと先/古橋秀之」

読書感想文

「そう、あれは―――百万光年のちょっと先、今よりほんの三秒むかし。」

―――あらゆる瞬間は、永遠に続く物語の半ばにあるのかもしれない。

私がふとそんなことを思った時、彼女が顔を上げ、子供たちが身を乗り出した。

話の出だしは、いつも同じだ。

(本文より)

 


◎紹介

この物語をあなたに語ってくれるのは、機械仕掛けの美しい女性。
「百万光年のちょっと先、今よりほんの三秒むかし――」

古橋秀之が紡ぐ珠玉の物語を、矢吹健太朗の美麗絵が彩る、驚異のショートショート集。

古橋秀之×矢吹健太朗のタッグで贈る「すこしふしぎ」な物語集。

あなたが眠りにつくまでに「彼女」が聞かせてくれるのは、たった5分間であなたを虜にする、「すこしふしぎ」な驚き、恐怖、感動のストーリー。古橋秀之が紡ぐ珠玉の物語を、矢吹健太朗の美麗絵が彩る、驚異のショートショート集。

第2回電撃ゲーム小説大賞受賞作から始まる『ブラックロッド』三部作や、表題作がドラマ化もされた『ある日、爆弾がおちてきて』を始め、数々の話題作を世に送り出し、現在では『僕のヒーローアカデミア』のスピンオフコミック『ヴィジランテ―僕のヒーローアカデミアILLEGALS-』の脚本も担当する実力派作家・古橋秀之。その9年ぶりとなる待望のオリジナル新刊。

本作品『百万光年のちょっと先』は2005年から2011年まで、足掛け7年に渡って、雑誌『SFJapan』に連載されてきたショートショート連作。『SFJapan』の休刊後、長い間「知る人ぞ知る」伝説の作品となっていたこのシリーズが、2018年、新作ショートショート1本とエピローグを追加して、遂に単行本化となった。

イラストは、『To LOVEる-とらぶる-ダークネス』などでお馴染み、アニメ『ダーリン・イン・ザ・フランキス』のコミカライズも担当する大人気漫画家・矢吹健太朗。カバーイラストの他、メカや異星生物、そしてキュートなヒロインたちの本文イラストを8点描き下ろし。

この物語をあなたに語ってくれるのは、機械仕掛けの美しい女性。「百万光年のちょっと先、今よりほんの三秒むかし――」
そんな言葉で語り始められるのは、ラブレターを書くロボット、求婚者たちの首を刎ねる姫君、生まれる前に戦争に出される赤ん坊兵士――短く意外な結末の、不思議な未来のおとぎ話、全48話。5分で読める短い物語を満載。学生の方には朝の読書などにもおすすめ。

 

百万光年のちょっと先 (ジャンプジェイブックスDIGITAL)

 


◎感想

この作品との出会いは、ライトノベルセカイ系ジャンルを漁っていたら何やら電撃文庫で伝説的に評価されている「ある日、爆弾がおちてきて」という作品を知り、そこから本作も手に取った次第だった。

古くからの友人(私と同じくライトノベルの読者)であれば「ブラッドジャケット」の作者と聞けば思い出す人もいるのだろうか。

 

同著作である「ある日、爆弾がおちてきて」という作品は2005年に電撃文庫から発行された作品であり、本作と同じく短編集となっている。ちなみに同作は2017年に書き下ろし作品が加えられて新装版がメディアワークスから発行されている。

ライトノベルの歴史からみても、2000年代前期の電撃文庫には不朽の名作が多い。(あの涼宮ハルヒも2004年だ) 恐らく電撃文庫が最も勢いがあったし、数多くの作品がこの世に生まれ、全盛期だったと言っても過言ではない。

そんな中で、10年経過しても新装版が発刊され、20年経とうとしている今でも語り継がれる作品を創ったという事実は物凄く価値があることである。


私はこの「古橋秀之」という作者の作品を2つしか読んでいないし、どちらも短編集だったので特徴を語るには一部分しか把握していないことは承知だが、

テンプレートを決めて物語を端的に、かつ面白く伝える。

という能力が極めて強い著者だと感じた。

個人的にこういう作家のことを尊敬の念を込めて「プレゼン上手」だとか「星新一の生まれ変わり」などと呼んでいたりする。

今昔物語に通ずるようなフレームワークを導入に使って、

この物語の設定を手早く説明することに始まり、手早く設定の裏を突いて驚きを与える。そして締めはフレームワークの定形で終わる。

テンポ感や物語のフレームを素早く伝えて、面白くしていくという能力はまるで、 自社の製品をパワーポイントを使って、限られた時間の中でプレゼンするような営業マンが持っている能力であったり、限られた自分の持ち時間で客席を沸かせるような芸人さんが持っている能力などに近いのではなかろうか。

同様な作家をライトノベルというカテゴリーから上げるならば、同じ電撃文庫からは時雨沢恵一キノの旅シリーズがある。

 

 

さあ、そろそろ本作について紹介していこう。

と、思ったが、

この作品は短編集ということでほとんどの物語が3ページめくれば読み終えてしまうような短い作品の集合体であるため、ほんの少し気に入ったフレーズをここに掲載するだけでもネタバレになってしまう。

なので、ここでは気に入った作品とその感想を述べるに留めておこうと思う。

気になった方はぜひ読んでいただきたい。

 

 

夢見るものを、夢見るもの

人間も含めて動物は夢をみる生物であるが、実は現実世界と呼ばれている世界が夢であり、その夢を見ている状態で最後の結末を迎えた時、また別の視点で夢が始まる。

眠りという行動はそのタイムラグの調整時間なのだ。

現実と呼んでいる概念は、そもそも個人の感覚に広がる夢でしかない。

痛みは現実ではなく幻痛であり、眼から入る光も幻眩である。

夢を織り混ぜて世界を創りだしたかもしれない神様は夢を見る事ができないのだろうか。

夢を見ることができなければ世界が作られず、その世界に生まれた生物は眠ることもできず夢が誕生せずにその夢の中で生まれるはずだった夢も眠ることもなく。。。。。。

(-o-) zZZ

 

5歳から、5歳まで

ベンジャミン・バトン 数奇な人生という映画がある。 80代の年老いた姿で生まれ、歳をとるごとに若返っていき、0歳で生涯を終えたベンジャミン・バトンの奇妙な人生を、数々の出会いと別れを通して描いている作品だ。

関係ないが、私は今年で30歳になる。

30歳という年齢はちょうど真ん中というか、悪く言えば中途半端というか難しい年齢だと思う。

10代、20代の「若者」に比べれば「おっさん」であるが、50代、60代の「おっさん」からは「若者」だとして使われる。

自分の中でも20代の感覚が残っているにも関わらず、しっかりと身体は年齢を積み重ねているわけだから、自分の感覚を誤った結果の怪我も多くなった。

感覚と身体というのは一体ではあるが、同一時間軸で進んではいないということだ。

子供の頃の感覚は身体の異変によって調整されて、だんだんと過去の感覚は薄れていき、経験によって感動の回数も減っていく。

大人は子供をみて「子供だから」と言うかもしれない。

子供は大人を観て「大人だから」というかも知れない。

それでも、ひとつだけはっきりと言えることは――― 一見、子供と大人は違った生き物で、子供の心は大人になると消えてしまうように見えるかもしれません。でも、その心は、大人の心の奥底に眠っていて、大人になったもっとあとに戻ってくるものなんです。

 

お題「我が家の本棚」