本当の闇は心の中にある「ジョーカー」

 

 

 

Odai「ゆっくり見たい映画」

 

 

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本当の闇は心の中にある


舞台は架空のNY、ゴッサム・シティ
アーサー・フレックという
躁鬱な感情の起伏があったり、
妄想癖が強くて、
貧乏で、
自分の意志に関係なく突然笑いだしてしまう発作持ちの男は、
コメディアンを目指していた。

 

それが、格差が出来てしまっているゴッサム・シティ貧困層を中心とした民衆に強大なヒーローとなり、ジョーカーと呼ばれる様になる物語。

 

公開は2019年の映画であり、数々の賞を受賞して興行収入も10億ドル超え。
つまりはだれにも観られた人気作であるために、内容に関しては書くことは野暮だと推測する。
閉筆。

 

兎にも角にも。
ホアキン・フェニックスの演技が本当に素晴らしい。
自身も貧困時代の幼少期があったから。
少し変わり者の捻くれ者だったから。
どんな理由かわからないが
まるで、
実際にアーサーという人物が実在していて、
ゴッサム・シティに暮らしていたと思わせる。
ドキュメンタリー映画を観ているようだった。

 

 

そして、触れざる負えないのが
ジョーカーに憧れたと言及し小田急線車内で殺意をもって行動した人物がいたのは記憶に新しい。

奇しくも、同じように職を失い、自暴自棄になり過ちを犯したことは同じなのかもしれないが、彼とジョーカーの決定的な違いは、自分の理想に向かって行動した方向性が違ったことだったのではないだろうか。

 

アーサーは本当にコメディアンになりたかった。
成功してお金持ちになり認知症の母を助けるために。という理由だけでなく、純粋に人を笑わせるという行為がすきで、いつもギャグを考えるのが好きで、ショーに通って研究をしたり、笑いという部分に対しては純粋であり続けていた。


そこに救いがあり、人を笑顔にすることが自分の理想であったからだ。


自身の愛していた母の隠されていた事実。
蟻地獄の貧困問題。
社会保障も切られて職も切られて、
イタズラに度が過ぎた青年達に蹴られようとも、
すべてに絶望が満ちていて、
闇に包まれようとも
一筋の望みとして

お笑いがあったから生きていられた。

 

しかし、
それが世間で認められるには

自身の努力だけでは追いつかない現実があった。

 

だからこそ、人を殺して認められる。
という間違った社会の闇に飲み込まれて承認欲求が満たされる快感を知ってしまった。

 

絶望の穴から頑張って出ようとしなくても、
底の方には甘い蜜がたっぷりあったことに気がついてしまったら、
身を滅ぼしていくのは早い。


酸で溶けるタンパク質のようにドロドロと快楽と一つになって溺れてしまう。

 

正直なところ、
それで良いときもある。


傍から見れば絶望の中で狂った笑顔でちゃぷちゃぷと水遊びをしているように見えるだろうが、当人にとっては最高のリゾートなのだ。


承認欲求の満たし方なんて、
他人に迷惑がかからなければ、
人を傷つけたり、しなければ何をしていてもいいと思う。

 

だが、何度でも言うが承認欲求を満たすために他人を傷つけるのだけは駄目だ。

自分の首を掻っ切る勇気がないやつは他人の手首を傷つける資格すらない。

間違いを犯さないために社会のセーフティがあるべきだと私個人は思う。